おれのためだけに生きる。

既婚子なし男性の無理をしない生き方の記録

ねことじいちゃんと仏陀と僕~FIREへの憧れ~

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僕はねことじいちゃんに憧れる子どもだった

僕は子どもの頃、早くおじいちゃん(老人)になりたかった。

 

老人は、学校にも行かなくていいし、誰かに怒られることもないし、面倒な友達づきあいもなさそうに見える。いつも穏やかにニコニコして、静かに縁側でお茶をすする。 辛いことも楽しいことも、人生の面倒はすべて過ぎ去って『 いい思い出』になっている。

そんな風に見える老人がうらやましくて「明日目が覚めたら70歳くらいになっていますように」と願っていた 。

さらに、猫(飼い猫に限る)になりたいという願望も持っていた。

陽の当たるあたたかな縁側で、 あまり動かず幸せそうに昼寝をする。気が向いたら散歩して、 雀を追いかけて雁のまねごとをしてみるけど、 家に帰ればおいしいキャットフードが用意されている。 飼い主は優しく声をかけ体をなでてくれて、何もしなくても「 かわいい、かわいい」と言ってくれる。

嫌なことはせずに好きなことだけをして気ままに生きる猫が、理想の人生に思えた。

子どもの頃の僕は、学校へ行くのも、宿題も、 リコーダーの練習も、友達と遊ぶのも、 TVゲームも、 ビックリマンシール集めも、『面倒』だった。

おじいちゃんなら、「若い頃はTVゲームで全クリしたけど、 あの頃はよく頑張ったな」と、面倒な努力は過去のものとなり『 いい思い出』だけが残っている。

猫なら、学校はもちろん、 友達に誘われて行きたくもない遠くの公園まで自転車をこぐ必要もない。

そんなわけで幼少期の僕は、早く老人になりたい、猫になりたいと言っては、 親に心配をかけていた。

僕とブッダの出会い

大人になっても、仕事は面倒だし、 嫌なことはしないで生きていきたいという気持ちは変わらなかった 。子どもの頃に比べれば、年を重ねるごとに、 嫌なことをしないように自分でコントロールできる範囲が広がった ようには思うけど。

そんなとき、たまたま手に取った宗教の解説本を読んで、 自分の考えと仏教の考えが驚くほど類似していることに驚いた。

仏教を開いたゴータマシッダールタの考えはこうだ( 僕の個人的ざっくり解釈による)。

釈迦族の王家に生まれたゴータマシッダールタ(お釈迦様)は、 何不自由なく過保護に育てられた。 青年になって王宮を飛び出した彼は、 飢えや病に苦しむ人々を見て、 生きることの苦しみを初めて目の当たりにする。「 こんな苦しみに満ちた人生を生きる意味とは何なのか」 と考えるようになり、 苦しみから逃れるために悟りを開こうと苦行や瞑想を始める。

そしてついに悟りを開いた人、つまりブッダ仏陀) と呼ばれるようになる。彼の教えでは、 生きることは苦しみに満ちており(四苦八苦)、 輪廻転生により生の苦しみを繰り返す。悟りを開くと、 この輪廻転生から抜け出し、涅槃に入り、 生きる苦しみ苦しみから逃れられる。

これは、僕が子どもの頃から抱いていた思いと同じではないか!

幼少期に憧れた縁側でお茶をすする老人

=縁側で昼寝をする猫

= 悟りを開き涅槃に入る仏陀

=昼寝中の僕の姿勢も涅槃スタイル!

僕が子どもの頃から感じていた『生きることは面倒だ』 という思いは、怠け者の駄目人間ではなく、 世界宗教を開いたあのブッダと同じ考えだったのだ!

出家=FIRE!?

さらに言えば、最近流行していて僕の憧れでもあるFIRE(Financial Independence Retire Early)も、生きる苦しみの輪廻転生から抜け出すために仏教の修行に励む現代 版の出家だと考えている。

俗世間を捨て、生活費を抑え、嫌なことはせずに暮らす。ゴータマシッダールタこそFIREの第一人者なのかもしれない。

 

仏陀に出会ったおかげで、どこか後ろめたく思っていた怠け者な自分を肯定的に捉えることができるようになった。

これからは自信を持って嫌な労働をせずに好きなことだけをして生活する人生を目指します !!

(それをFIREと呼ぶのか、セミリタイアと呼ぶのか、出家と呼ぶのか、ぷーたろうと呼ぶのかは、僕にとってはどうでもいいこと。)

 

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